2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。

哀悼 本田美奈子さん

2005.11.13記載

歌手でミュージカルのDIVAであった本田美奈子さんが,臍帯血移植の甲斐もなく急逝されて約1週間が過ぎました。このHPを立ち上げた頃に「教授挨拶」の中の「ちょっと個人的な話」にも記載していたように,僕の人生の中で,第3の歌姫でした(ちなみに,最初は,「いしだあゆみ」さん,次いで「太田裕美」さん,そして「本田美奈子」さんだったのです。

最初に冬に「急性骨髄性白血病」との報が,マスメディアに流れ,僕としては,以前内科の頃の専門の血液疾患,今でも血液学会認定「血液専門医」ですし,辛い想いで一杯~冗談交じりに,僕自身のHLAを変えてでも,移植ドナーになってあげたい・・・と云っていたものでした。

その後,TV番組の「たけしの誰でもピカソ」などでも,特集番組があったりして・・・でも,臍帯血移植の報が5月に出たときに,学内の血液臨床の先生方に尋ねても,それは,やはり初回の寛解導入が上手く行ってない際の苦肉の策ではないか・・・という意見を頂戴し,本当に,心から希少な可能性ではあっても成功することを期待しておりました。

しかし,しかし・・・・・・・。

時あたかも三年生の基礎総合演習で,別の先生の受け持ちの班が「APL:急性前骨髄球性白血病」をテーマとして調べ物をしていたり,また,その班のチューターではない先生も,本田美奈子さんのファンであったとの話をされて・・・。辛いながら,所謂,アイドル時代を知らない学生さんたちも医療医学の進歩と発展と,しかし,まだまだ万能ではなくこういう辛いケースが沢山在ることを感じてくれたかも知れません。学生さん達は,生命予後は○年で△△%・・・と調べてきてくれますが,一人一人の患者さんの生命が△△%生きているのではなく,亡くなる人は,そのまま天に召される訳ですし。

1985年(大学院に入った年です)のデビューでした。殺意のバカンスという曲でのデビューで,これは知る人しか知らないかも知れませんが(良く知っている方も3枚目・・・限定版の「青い週末」を含めると4枚目)の「テンプテーション」で,もしくは,その後の「1986年のマリリン」でご存知になったでしょう),このシングルレコードはいち早く購入しましたし,最初に近いTV放映,「レッツゴー・ヤング」も見ました。

それ以来,大学院の頃は,ファンクラブにも入り,CDは発売日前に予約して購入というスタイル(コンサート等を追っかける時間はなかったですが・・・確か,岡山市のどこかの大学祭で来たように記憶してます・・・いけなかったけど)。また,主演映画は,映画館で,今のようにシネコンで単一放映時間用の切符でなかった頃で,3回連続で見続けた記憶もあります。パッセンジャーって映画でした。

また,所謂アイドル卒業(事務所戦略だった??)の後の,「MINAKO with Wild Cats」時代も,大好きでした。そして,「ミス・サイゴン」のオーディションから始まるミュージカルスター時代・・・・。いつも,僕のDIVAでした。

アルバムでは,「つばさ」の1分間のフェルマータ! ジャンクションでの少し演歌っぽいサウンド・・・・。どれも熱中して聴きましたし,TVドラマにも時々出てて,Fuji系で金曜10時だったかなぁの中村雅俊あ永作博美と共演していたもの,TBSで西田敏行と一緒だったドラマ,最近ではNHK月曜9時台の Jazz Singer 役,どれもステキでした。

デビュー当時から歌唱が良いなぁって想ってて,かつ,筒美京平サウンドでもあったので,レコードを買い始めた訳ですが,ロック系になった変なシャウトの時期があったり,また,クイーンのブライアン・メイ:プロデュースとか,ゲイリィ・ムーアの曲とか,全曲英語のアルバムとか,その頃も,少し伸ばす最後フェイクが癖があった時期もありましたが,やはり,彼女は,基本的に歌唱好きの少女が大好きな歌唱をとことん突き詰めていこうって意識が(事務所の戦略も途中からは,そこをヘルプするようになっていった様にも感じられます,素晴らしいことです),そして,ミュージカルとの出会い,作詞家:岩谷時子氏との出会い,また,クラシカルな歌唱法との出会い(編曲も井上鑑という素晴らしさ)・・・こういうものは,すべて,歌唱が大好きで,それをどんな方向性であれ,極めて行きたいという素直な心の動きが見てとれる様に感じます。逝去のあと,TVで,その唄う姿などが放映され,前述の基礎総合演習で関わった先生なども,素晴らしかった・・・だけに,哀惜が強まりもするのですが・・・・と,再認識してくださったようです。

こういう姿・・・・なんとなく内科研修から始まって,その後,臨床との橋渡しとなる領域の基礎的研究に捉われてもいって僕自身の気持ちの動きと重なる部分を感じてしまいます。こういっては,美奈子さんの歌への情熱に対しては僕などと比較すること事態が不遜でしかないですけれども。

僕は,何の気まぐれか,逝去の報が出る前の週に,ふと,1~3枚目くらいのアルバムのバラードばかり,自宅で聴いてしまってました。ただ,それだけですが。

まだまだ,彼女の歌唱がどこまで伸びていくのか,進んでいくのか,これまでのアイドルが至らなかった地平まで,フロンティアとして,どこまでも突き進んでいくのだろうと,一ファンとしてアルバムを聴き続けることで,その想いと情熱を一緒に感じようと思っていたのに・・・・。まだまだファンである僕らが驚愕する程の,素晴らしい歌唱を聴かせ続けてくれるものと期待していたのに・・・それは残念でなりませんが,実際に治療の現場を知っている身としては,何も云えません。

残されたアルバムと映像を心の支えとして,その情熱を分けてもらいながら,自分たちの仕事への一所懸命さに注いで行きたいと思っています。

哀惜を込めて,追悼です。

永遠なれ! 本田美奈子!